2012年1月24日火曜日

思うこと

朝日新聞、「特派員メモ/スピーチでも世界一を」を読んだ。「なでしこ」の沢穂希主将が世界最優秀選手に選ばれ、スイスの表彰式での受賞挨拶の話。式典は英語で進み、記者はそれをイタリアのテレビ中継で見ていたという。沢選手が英語でスピーチをしなかったので放映がカットされ、ロンドン五輪では言葉でも世界に通用してほしいという趣旨。

グローバルの世、国際語としての英語の有用性はわかるが、何もかも英語という風潮はどうなのか。世界の報道番組を見ていると英語で現地の人たちとのインタビューを図っている。つまり英語を話せる人しかインタビューに答えられないという事実がある。

最近見たTV番組。ドイツの記者が英語でシリアの情報を集めていたが、本国に放映する段になると当然ながらドイ ツ語で語り始める。彼女のその「語り」は英語から解放されて、水を得た魚のように淀みなく・・・美しかった。英語を話している人を画面で見ると流暢に感じてしまうが、実際のところ怪しげな英語で答えている現地の人々もいる。

キム・ヨナ選手に日本のメディアが英語でインタビューをしているのを見るにつけ、なんで英語圏でない人にも英語を期待するのかと思う。沢選手が受賞の喜びと感謝を伝えるのに、一番感情を表わしやすい日本語をなぜ使ってはいけないのか。つくづく理不尽な世の中だと感じる。

2012-01-18 20:00:04| 時事ニュース |コメント(0)|トラックバック(0)

年の始めからこんなお話で気がひけますが、今年の「もろ」最初から風邪をひいて寝込んでしまいました。今日、ようやく寝床から這い出して、一日坐って過ごしました。風邪をひくことは、はっきり言って、ほとんどありませんが、近年、体力的に衰えているからかな~~~と、思う次第です。

寝ていると、当然何もすることがありません。本とかくらい読めればいいのですが、頭がふらついてそれも叶わず、ひたすら目をつむってベッドで寝るのみです。そんな時は、治ってから何をすべきかをよく考えてしまいます。非常に単純な事です。今まで2回くらいそんな事がありました。一度は、二十年くらい前で、ラジオで湾岸戦争が勃発したと聞いたのを覚えております。その時に考えたのは、わたしの部屋と息子の部屋の� ��入れをどのように片付けようかというもの(ねッ、単純な事でしょ)。ようやく立ち直ってから、通販で押入れ「片付けグッズ」を買いまくり、計画通りに生理整頓しました。

二回目は2010年と割と最近の話です。この時は部屋の改造です。リノベーション。半年くらい、寝たり起きたりの生活だったので、どうするか、練りに練って、計画実行。今は、とても快適に暮らしております。で、今回なのですが、もう考えるネタがない。

今回、考えたのは「30年3回説」・・・です。つまり、1歳から30歳までは、人生何をすべきかいろいろなことを経験して固める時期。次の30年間60歳までは、その決めたことをひたすら実行する。それで、60歳からは年金生活ができるじゃないですか。もちろん、わたしの場合 、それだけで暮らしていける額ではありませんが、とにもかくにも、ベーシックインカムは確保できる訳です。やりたくない仕事はパスできると言う事。60歳から30年、90歳まで生きられるとは思いませんが、残りの時間は好きな事をしようと。

もう少しで、そんな年齢です。それで考えたのは、好きな事をやり抜くには、先ずは体力。実は、30歳代から十数年、ジム通いをしていました。上海で仕事をすることになって、メンバーシップをキャンセルしました。その頃は、週3~4回は、ジムに行き、自転車か走るか泳ぐか、していました。30分走って、2キロ泳ぐなど。それが、上海から帰って来てからは何もしていません。(ヨガを少々しましたが)。それで、寝ながら、もう一度ジム通いをしようか、それとも何か コンスタントにできるものを探そうか、とウジウジと考えていたのです。

結論はまだ出ていません。強制されないと長続きしないけど強制されたくない、というところで。とりあえず、今日はヨガを久しぶりにしてみました。一週間ぶりです。追々考えるとして、ヨガ+ダンベルでちょっとの間いってみよ~~~と、考えています。

今年の抱負に換えまして、御後がよろしいようで。

2012-01-11 20:25:51| エッセイ |コメント(0)|トラックバック(0)

今年もいよいよ押し詰まってきましたね。年の瀬もそうですが、自分の人生の行方が気になる年頃になってまいりました。

この頃よく考えますことは、人の世は過去の人々の屍の上に綿々と連なっているのだなあという事です。若い頃、20代、30代の時には、ちらっとも頭に浮かばなかった、考えもしなかった事柄です。最近のマイブームで、哲学の歴史を追いかけているのですが(西洋哲学です。多分、日本やその他の国では「哲学」という概念で括られるものは存在しないのではないかと思います。「思想」とでも括られるでしょうか)、そういう歴史的なものを考えると、人は過去の人の考えや行動を自分の糧にして、自分自身を作り上げ、また、それを次世代の人が食い散らし、そこから得たもので新たなものを創� ��すると言ったような事でしょうか。わたしは、そんな大袈裟な事はできない極一般の者ですが、それでも多くの一般の人々が「その時代の意志・知覚」を作り上げているのだとしたら、小石の、極々小さな小石の一粒でもそこに上乗せさせることができたのかなと、望みます。

「人の綿々と連なる屍」という事に関連してもうひとつ。先日、興味深いTV番組を見ました。古文書による地震・津波の研究です。いつの時代に大きな地震が起こり、その時津波はどこまで来たのか、そしてどのように対処、克服されたのかを古文書を読むことにより、調べます。

3.11に関連して伊達政宗の政策を検証していました。伊達政宗の治世の時に同じくらの規模の地震が東北地方を襲い、津波が海岸線を飲みつくしたのです。彼の政策は� ��津波の届く範囲には人家を建てないというものです。その代わりに、塩田を作り、産業の育成をしました。そして、ここまで、津波が押し寄せたと言う印として、その境界に神社や寺を建てました。

今回のツナミで、人々は口々に「このお寺(神社)まで逃げてきたら、津波が嘘のように止まった。」とかいう感想を述べています。つまり、そういう事です。人はもうなぜそこにお寺があるのかは覚えていませんが、祖先の智恵が活かされているのです。そして、そのもう意味がわからないことが、奇跡となりMYTHとなるのです。わたしの言いたいことは、今、神話とか伝説として残されている不思議な事、ロジカルでないことにも何かしらの真実が含まれているのかもしれないと言う事です。

こんなことを考えながら、また来� �も生きていきたいと思います。

2011-12-30 13:50:45| エッセイ |コメント(0)|トラックバック(0)

とりあえず西洋哲学の表相を、ほんとに極々表面であるが、大雑把に辿ってポストコロニアリズムのスピヴァクまで行き着いた。現代思想によると、哲学は、「理性により総てを捉えることができるというのは、幻想であり驕りである。語ることができない物を語ろうとしているのだ。」という事。それで次のような言質を得た。

マルクス:
「考える私」(自我)に普遍的に内在する「理性」を信頼することによって成り立つ「哲学」という営み自体が怪しくなる。

フーコー:
「人間」というのは、十九世紀になって成立した近代的な「知」の中心概念として形成されたものであって、決して普遍的なものでなく、近代知の有効期限が切れつつある現在、その役割を終えようとしている。

テオドールW. アドルノ:
「思考の力で現実をあまねく全体として捉えることができるという幻想」を放棄し、主観的理性が世界の構成者であるという傲慢を捨てなければならない。

と言う訳で、意見を言いやすくなった。わたしが自分の意見を言うと、周りの人は「白眼視」とまでは言わないが、まるで「雨の中に打ち捨てられた子犬」、わたしを「イデオット」とでも言わんがばかりに見つめるのである。

西洋哲学は、自身の中の自然なものを「理性」によって押しつぶそうとするものである。―――by popon.

今回のお題は「外界の存在はどのように証明できるのか」であるが、そもそも「自己」と「他者」には明確な境界線などなかったと思う。近代啓蒙思想は、「自我」を発明し、個人の権利・平等の概念を作り出した。そして、それまでの虐げられた人々を支配者(王族、独裁者)から解放する根拠を与えた。しかし、それは同時に人々がそれぞれに緩く結び付いていたものまで、「自我」という柵で囲い込んで、断ち切ったのではないか。

つまり、自己と他者、個人を第一義的に尊ぶのは近代以降の西洋社会のみではないかと考えるのである。アジア、アフリカ、イスラーム世界は、自己よりもしばしば共同体の方が優先される。自己と他者は共同体の中で溶け合っている。それは西洋諸国以外の国の特徴ではないかと思っ� �いたが、案外、西洋社会もそうかもしれない。彼等は理性に囚われている。そしてそこに自らの優位性の拠り所を置いている(個人などないと言えば、この資本主義社会は成り立たないしネ)。自己主張を尊ぶ彼等のなかで、「誰が自分の意見など持っているものか。たいてい権威ある者の受け売りなんだよ。」という人物に遭遇した。彼等は自分の意見を持たなければいけないという強迫観念に束縛されているだけなのかも。だから、現代思想は、そこから脱け出すための新たな理念になるのか。

そこで現代のネット社会である。今、我々はネット(SNS)という共同体を再び手に入れた。それはもう一地域の話ではない。全世界に繋がる共同体なのである。人は自己のアイデンティティを確保しながら、仮想空間で自己を放出できる。 この仮想の共同体が現実社会にフィードバックされる日が来ることを強く望むものである。

2011-12-18 17:20:00| エッセイ |コメント(0)|トラックバック(0)

英語の話を書いてきました。最初に、ユニクロが英語を社内公用語にした事と『日本人の9割に英語はいらない』の著者である成毛眞氏の事を書きました。ユニクロ社長の柳井氏と成毛氏は、英語を単なるコミュニケーションの道具だと位置付けています。グローバル化する世界での人々が思っている英語の位置付もそうです。人々はただ便利だから英語を使っているにすぎません。

わたしは、この事について、機会あるごとに英会話の先生に訊ねてみます。「ネイティヴの英語スピーカーはそれでいいの」と。彼等は、一応に「英語は英語だ。これからの世の中、英語を話せなければ生き残れないよ。」と言います。なぜ、彼等はそれで平気なのだろうか。彼らの文化的要素が英語から取り除かれてもいいのだろうかといつも� ��問でした。

最近、『ナショナリズムと想像力』と言う本を読みました。著者はGayatri Chakravorty Spivak です。インドで生まれ、カルカッタ大学を卒業後、アメリカで学び、今はコロンビア大学の教授です。比較文学のプロフェッサー。彼女の本を読んで、少しわかってきました。もともと、西欧と白人と男性の優位性を含んでいる英語という言葉は(スピヴァクの言です。わたしの言ではありません。念のため)、その他の人々が英語をどのように使おうと関心がないようです。つまり、もともとの優位性があるから(だから、その位置から追い落とされたフランスは、英語に反発しているのでしょうか)。彼等は(個人ではなく、顔のない集団として)、ネイティヴではない英語を話す人たちと何も友達になることを望んでいる訳ではないのです。自分たちが話すことをただ理解できる人々を求めているのであり、自分たちがオーダーした� ��えを自分たちがわかるように返してくれればそれで事は足りるのです。

こんなエピソードを新聞記事に見つけました。と言って、切り抜き記事が見当たらないので、詳細は覚えていませんが。ニューヨーク駐在の日本人記者の報告です。ノーベル平和賞受賞が発表されたリベリアの平和活動家リーマ・ボウイーさん(39)が、訪問先のニューヨークでノーベル賞受賞の感想を求められました。アメリカの記者は英語で話せと主張するのです。それで、日本人の記者がそれは失礼ではないのかと言うと、英語で話せば世界中に彼女の主張が配信されると。しかし、その記者が言うには、リーマ・ボウイーさんは、お国の言葉で話して、その栄光を国の皆に理解してもらい、分かち合いたかったという事です。英語の傲慢さをどうにか� ��らないものかとその記事は結んでいました。

グローバライゼーションを既存の言語である英語が支えるなら、英語に付随する文化や思想も受け入れる事になり、英語スピーカーの自分たちが支配者であるという思いをぬぐい去る事は難しそうです。もし、グローバライゼーションを無機質な功利主義的な世界としてもいいのなら、その言語も英語ではなく、もっと人工的な言語を作り、ただ記号としての会話をお互いに交換しあえばいいのです。

しかし、グローバライゼーションをもっと愛に満ちたものとして捉えるなら、例えその言語が英語であったとしても、その話されている英語の中にはその語り手の違った文化が漂っている事を関知しなければいけない。特に英語ネイティヴは、それらの英語が単なる彼等が話している 英語ではなく、話し手の言語から翻訳されたものであることを感じ取らなければならないと思います。「愛」が必要なのです。違ったものであるが、それが「等価」であることを認識すべきです。決して英語への同化ではなく。

先に「英語スピーカーの自分たちが支配者であるという思いをぬぐい去る事は難しそうです。」と書きました。それを払拭する手段は何か。わたしは「愛」と書きました。スピヴァクは「想像力」と書いています。

マルクスの一節にこのような事があるとスピヴァクは書いています。「訳語を思い出さないでその言語を使えるようになり、それを使う際に祖先伝来の言語を忘れるようになったときにはじめて、彼はその新しい言語の精神を身につけたのであり、その言語を自由に使いこなせるのである� �」―――翻訳者はまさしくこうあるべきでしょう、と。

彼女は、比較文学の教授です。そして、英国によって第一言語を押しつけられたインドの生まれです。「コミュニケーションの媒体は英語のままでいいでしょう。私たちは利便性を考慮して、英語と言う植民地主義からの贈り物を受け取ります。しかし、作品はさまざまな言語で書かれ、比較研究されなければいけません。」と、『ナショナリズムと想像力』の中で述べています。少なくとも二つ以上の言語を学び、言語間の等価性を見つけ出すこと。そのようになされた比較文学研究によって鍛えられた「想像力」で「独占せよ」という魔法を解く。グローバルという感覚をつかむこと。わたしが理解できる限りでは、彼女はそのような事を言っています。比較文学の視点を� �入することによって、民主主義の精神は強化されるでしょう、とも。

わたしたちは、せっかく英語を学んでいるのだから、文学とまではいかないまでも、いろいろな他国の人と接した時に等価性(違うが同等の価値を持つということか)を訓練することで「想像力」を鍛え、強い者が支配するグローバライゼーションを「違う」と否定し、愛に満ちた「地球」にしていきましょうよ。

2011-12-16 16:43:07| 日本を語る |コメント(0)|トラックバック(0)


わたしの親の教育方針は、質問するなでした。簡単に質問する前に、自分で調べろと。で、わたしは(幼い私は)、「絶対質問してやるもんか」と思いました。

その後遺症が、ず~~~と、残っています。高校生の時、数学の問題を解いていて、やっと解を見つけ、模範解答を見てみると、なんだ、定理があったんだ・・・、です。素直に先人の言うことを聞いていれば、無駄に考える事はなかったのにと。

で、今、哲学(西洋哲学)をフォローしています。何かについて考えます。すると、わたしの考えたことなんか、ず~~~と前に、哲人が考えているんですね~~~。どうなんでしょうか。考える前に読むか。読む前に考えるか。

話は違う方向に進みますが、関連はしています。

英語です。英語を学びます。すると� ��学べば学ぶほど、英語圏から疎外されます。つまり、コミュニケーションの手段として割り切って学んでいればよいのですが、深入りすると、彼等が、その他の人々をどう考えているかがわかってきます。わたしの友達でも、周りの人たちでも、欧米で一定期間過ごしたほとんどの人は、自分たちが差別されていると感じた瞬間があるはずでは。日本で生活していると全然気がつかないことです。

日本はほんとうに恵まれた国だと思います。わたしたちは日本語ですべて表現できます。科学も、哲学も文化も。言いたいことは日本語で言えます。でも、そうではない国々の方が多いのでは。植民地化された国です。元々、言葉がなかった国、言葉はあったが西洋の近代化(?)された文化を表わす言葉を持っていなかった国。その言� ��を自国の言葉に翻訳できなかった国は、英語、その他西洋の言葉をそのまま使うしかありませんでした。もちろん、ただ押し付けられた国も。第一言語が変わってしまった国々(民族、種族)です。

うすうす感じていたことがあります。この世は、西欧のルールで覆われているということ。非西欧諸国は、そのルールを学んで世界に挑んでいかなければならない(今、中国が不満を漏らしていることですが)。日本が唯一非西欧の国で、G7に入ったことはほんとに奇蹟に近いことです。と、日本の自慢をしている訳ではありません。だからこそ、気付かないことがあるのです。それをわたしは英語を学んだことによって知ることができました。

最近読んだ本に、『アイデンティティと暴力』と『イスラームから見た「世界史」』� ��あります。著者は第三世界の人で、アメリカや英国で学んだ人です。そういう著者を選んで読んだ訳ではなく、興味ある本を買ったらたまたまそうでした。今、そのような人たちが世界の表面に出てきました。自国で学んでから西洋で学びなおす人、または移民した人。あるいは、親の世代が移民の第二、第三、・・・世代です。つまり、日本人はそのようにする必要性があまりなかった。日本国内で賄えてしまうからです。だから、世界の動向に遅れを取ってしまった。・・・と言うような事を考えていたら、すべて最近読んだ本に書いてありました。『現代思想入門』です。ポストコロニアリズム。

ポストコロニアリズムの出発点になったのは、サイードの『オリエンタリズム』だそうです(この場合のオリエントはアラブ諸国� ��。こう書いてあります。

サイードの提起は、そもそも人文学全体が孕んでいる西洋中心主義的な言説全体を問題にしたのだ。それは、歴史学、文学、哲学、社会学、文化人類学といったあらゆる領域における言説の権力の実践を批判的に検討することを要求したのである。

アメリカで高等教育を受けた非西欧の学生たちが、西洋・白人・男性中心主義の人文学の古典や正典に対する疑問を持ち始める。また、非西洋の思想家、あるいは歴史の中に埋もれた、名前を残すことのなかった無数の、断片化された思想を再発見しました。

ヨーロッパ、アメリカの経済が傾き始めた現在、世界が溶け出してきた感があります。その世界がまたどのように固まっていくのか、第三世界の学者たち、彼らの言動から目が離せない、興味� �津の、ワクワク感でいっぱいです。

2011-12-10 22:39:26| 日本を語る |コメント(0)|トラックバック(0)

ファーストリテイリング(ユニクロ)社長が、社内の公用語を英語にすると発表した。その理由は何かと疑問に思っていたが、最近、新聞のインタヴューに応えているのを読んだ。その記事の主旨は、就職活動を始める学生に対するアドバイスを著名人に求めるものだが、最近の採用の際のキーワードに「グローバル人材」という事があり、そのために彼に意見が求められたようだ。

質問1:最近の就活のキーワード、「グローバル人材」とは。

世界中どこででも、日本でする仕事と同様な役割をこなせる人。その国の文化や思考を理解して、相手と本音で話せる力を持つ者。

質問2:英語を社内公用語とする理由は。

欧米ではもちろんアジアでもビジネス言語は英語である。ビジネスシーンで英語を話せないのは、� �を運転するのに免許がないのと同じだ。

質問3:英語を社内公用語とする必要性はあるのか。

そうしないと社員が英語を勉強しない。今後3~5年で本部社員の半数は外国人にする。英語なしでは会議もできないことになる。しかし、英語はあくまでもビジネスの道具で、我々の思考や文化の基準言語は日本語のままだ。

質問4:英語は苦手だが優秀である学生は採用するのか。

しない。
十年後の日本の立場を考えると、国内でしか通用しない人材は生き残れない。

以上が、だいたいの彼に対する質問とその答えである。

もうひとつ、おもしろそうな題の本を見つけた。『日本人の9割に英語はいらない』である。著者は成毛眞。1955年生まれ。1986年、マイクロソフト社に入社。91年、代表取締役社長に就任。2000年に退社後、投資コンサルタント会社「インスパイア」を設立。

わたしは、この本を読んではいない。すべてアマゾンから得た情報である。そこには、「本書は、自身の実体験と膨大な読書量に裏打ちされた実践的英語論であり、社内公用語化に象徴される日本の英語の現状に警鐘を鳴らす。」と書かれている。29人の読者レヴューが投稿され、評価は「★五つ評価」で★三つ� ��得ている。

その内、★五つを与えているレヴュアーの一人がこのように言っている。「内容については、題名の通りである。そしてレヴューの数も多いので、むしろ本を読まなくても、大体の内容は把握できてしまう。それでも、自分は本書を読んでよかったと思っている。数時間にわたり、自分にとって本当に英語は必要なのか、じっくり考える機会になった。」と。

わたしも、内容紹介とレヴューとを見れば、読まなくてもイイかと・・・思った。それから、もう自分にとっての「英語とは」という問題はクリアしているから。以下、目次だけ列挙してみる。

英会話に時間とお金を投資するなんてムダ
頭の悪い人ほど英語を勉強する
楽天とユニクロに惑わされるな
ビジネス英会話なんて簡単
英語ができても仕事ができるわけではない
インターナショナルスクールを出て成功した人はいない
早期英語学習は無意味である

なるほど、挑発的な文言が並んでいる。こうしてみると、一見、ファーストリテイリングの柳井社長と正反対のことを言っているように見えるが、わたしはつまりはお二人とも同じことを指摘しているのではないかと思う。先に紹介したレヴュアーの一人も、「『日本人の9割に英語はいらない』は、裏を返せば「1割には必要」である・・・」と書いているように、わたしとしては何割の人が英語を必要なのかは知らないが、柳井社長はその一割の人のために英語の必要性を説き、元マイクロソフト社長成毛氏はその他の9割の人に英語は必ずしも必要はないと説いているのである。

同じレヴュアーの方が書いている。「著者の主張は、使わないのに英語を勉強するくらいなら他のことをしろ、と� �うことだ。・・・・英語を学習する時、自分の「具体的な」現状・未来予測と切り離して、その必要性を考える事はできないのだ。世の中には、英語学習より有益な行動がいくらでもあり、人生には無駄な時間は1秒もないのである。」と。わたしも英語だけを取り上げて、その必要性を必要のない人にまで説く事の理不尽さを感じる。英語を道具として捉え、ビジネス英語に限るなら、人は自分が必要だと考えた時に、英語を勉強すれば事足りると思う。

もうひとり「★2つ」をこの本に与えたレヴュアーを紹介したい。その人は、「英語が母国語の人でも何を言っているか分からないヒトは結局何を言っているのか分からないし(言語明瞭・意味不明瞭)、片言の英語しかしゃべることのできないヒトでも、理路整然とそれなり� �自分の意図を伝えられるヒトは、何を言っているのか分かるものです。」と言う。「・・・ではその問題を解消するために何をすべきかというと、英語の勉強よりもまず本を読め、というわけで、この部分はまあ同意です。」と続けている。内容は同意できる部分もあるが、書き方が過激であるため、真意が伝わらない部分があるということで、この人は、「著者よりも出版社、編集者の方針の問題かもしれない」と指摘している。

このふたりのレヴュアーの評価には、「★5つ」と「★2つ」という隔たりが見られるが、この本からはほぼ同じ感想を得ているようで、結局わたしの感想は、いつものように平凡に、英語が必要な人は勉強すればいいし、必要ない人にも「教養」とかの名目で英語を押しつけて、市井の金もうけ主義� �英会話教室にお金を落とす義理はないというもの。もちろん教養のために勉強したい人はして下さい。かっこいいからということなら、それでもよし、それも「必要」のうちなので。

2011-12-02 17:29:26| 日本を語る |コメント(0)|トラックバック(0)

国連人口基金は、世界人口白書を発表し、今年10月31日に世界人口が70億人に達するとした。31日に生まれた新生児は総て70億人目のベイビーとしてお祝いされた。白書によると、1950年初期に48歳だった平均寿命は68歳になり、乳児死亡率は出生一千人あたり46人で、1950年代の133人から大幅に改善された。世界人口は1987年に50億人、1999年に60億人と増加し、2050年には93億人、21世紀末に100億人を超えると予想される。

国連がこのニュースを「人類の大いなる成功」として伝えるテレビニュースを見て、「そうなのか」と違和感を持った。もちろん、平均寿命が延びたことや乳児の死亡率が下がったこと、幼児期の疾病率が低下したことは、人類の叡智である。� ��かし、このまま増え続ける人口を考えると手放しには喜べない。都市化が進み都市に集中する人口、人口増による資源の枯渇などを考えると人類はもう一歩「新たな叡智」を見せなければ生き抜いていけない状況である。

現在の消費社会――モノを産み出し消費しなければ経済が回っていかないシステムを考え直す時期に来ていると思う。昨今の経済大国といわれる国々の経済的衰退から、彼等は自国の生産物を売りつけるために、新たな消費国を見出さなければならない。また、新興国も自国の経済的発展のために、世界に目を向ける。限られたパイの取り合いといった様相。少し立ち止まって、周りを見渡してみる必要があるのではと考える昨今である。

この「人口白書」の記事の隣には、日本の少子化を憂うる記事があっ た。それによると、昨年の国勢調査で日本人の人口が減少に転じたのは、出生数が死亡数を下回る「自然減」に歯止めがかからないため。有効な少子化対策が打たれなければ、人口減社会が一気に進むと警告している。

しかし実際、この狭い国土の日本に1億2千万人あまりの人々が暮らしているのだ。2010年の世界人口推計によると、日本は第10位となっている。もちろん、社会の状況や制度により子供を産みたくても産めない状況にある人々に関しては、政策的見直しは必要だと思うが、人口そのものだけを取り出して考えると、日本はそんなに人口が少ないと嘆く状況にあるのだろうか。

明治時代の人口推計によると、1872(明治5)年の日本の総人口は、3,480万人であった。1912年(明治45年)に5000万� �を超える。第二次世界大戦後、1947(昭和22)年から1949(昭和24)年の第1次ベビーブーム期を迎えた。1948(昭和23)年には、総人口は8,000万人を超えたが、早くもその8年後の1956(昭和31)年には、9,000万人を超えた。この頃の「厚生白書」では、急激な人口増による「過剰人口」にどのように対応していくのか、ということを政策課題として取り上げていたのである。ちょうど明治元年(1868年)以来100年目となる1967(昭和42)年に、日本の人口は1億人を超えた。当時、世界の国々の中で、人口が1億人を超えたのは、中国、インド、アメリカ、ソ連(当時)、インドネシア、パキスタン(分離独立前のバングラデシュを含む)に次いで7番目であった。

わたしの小学生時代は、学校に人があふれていた。休日はどこに行っても、人 、人、人。1億人を超える頃には、メディアは「この狭い国土で1億人を超える人が住むのはどんなに過酷な事か」とキャンペインを張っていたのを思い出す。政府も「二人っ子政策」を推し進めていたのである。まるで、人口が1億人を超えると、日本は滅亡するくらいの勢いであった。

少子化に伴う労働力の減少に対して、外国人労働者の事が取り沙汰される。しかし、移民を受け入れた先進国では、今、その移民を追い出そうとする傾向にある。2011年4月14日の保守党の会合で、英国キャメロン首相は、EU諸国以外からの移民の受け入れを制限する方針を明らかにした。新聞のキャッチコピーは、「移民受け入れという慈善はやめた」であった。また、「イギリスは今後も世界の優秀な頭脳や、迫害から逃れてくる人々� ��歓迎する。だが、我が国の国境は開放されているわけではなく、移民の数は受け入れられる範囲でなければならない。」とも、言っている。

このBBCの記事に対し、多くのコメントが読者から寄せられているが、その一人がこんなことを言っている。
The fact is that UK is grossly overpopulated, compare it to any other European state---short on housing---motorways choc a bloc---just too many people altogether. We are the same population as France but with half the land. So yes---let us limit immigration with the proviso that skilled people who can help the economy of the country should be fast tracked in.

それで、イギリスの人口を調べてみると、第22位の約6千2百万人であった。つまり、日本でもこのくらいの人口までは大丈夫ではないのかと。単純すぎますか。

2011-11-19 17:13:05| エッセイ |コメント(0)|トラックバック(0)

フラッシュ・モブと言われるものは、2003年、Bill Wasik(雑誌の編集者)の呼びかけによりマンハッタンで起こりました。ネットで人々に集合するように呼び掛けて、パフォーマンスを試み、終わるとすぐに解散するものです。5月に集合がアナウンスされましたが、集合場所のお店にその情報が流れ、失敗に終わりました。同年6月3日に再び集合が掛かり、これは成功裡に終わったようです。

フラッシュ・モブの生みの親である彼の意図では、フラッシュ・モブは、見知らぬ多くの人が一カ所に集合し、エンターテイメント的なパフォーマンスをし、その場で解散するということです。その意味が徐々に変化し、政治的な行動や反社会的な行動に対しても使われるようになりました。このような使われ方に対し Bill Wasik は元々の意味の評判を落とすものだとし、反対しています。

フラッシュ・モブは、2004年にオックスフォードの辞書に付け加えられました。定義は、彼の意志を尊重したものになっています。"unusual and pointless acts" とし、政治的な意味を持つ集合とは区別しています。また、Webster でも "flash mob as a group of people who organize on the Internet and then quickly assemble in a public place, do something bizarre, and disperse" の定義です。メディアやその他の情報が広い意味でこの言葉を使用し、意味の変化をもたらしたのでしょう。

このような行動は、ソーシャル・メディアの発展により、政治的な意味合いが強くなりました。FACEBOOKの一般公開は2006年でした(日本語版は2008年)。一番記憶に新しいのは、今年8月のロンドン暴動でしょう。彼等はソーシャル・メディアにより集まった人々で、見知らぬ個人の集合でしたが、一部が暴徒化し世界の目を引きつけました。キャメロン英首相はこの行為に対し、政府がSNSやメッセージサービスに対するブロックを実施することを検討中だと発表しました。また、「自由な情報流通は良いことにも、悪いことにも利用される。人々がソーシャル・メディアを暴力のために使っているのなら、それをや� ��なければならない」とも語っています。暴動を巡っては、1300人余りが裁判所に出廷しており、裁判官は量刑ガイドラインにこだわらずに判決を下すように助言されていると言われ、ボトル入りのミネラルウォ―ターをスーパーから盗んだ学生は禁錮6カ月が下されたという報道もあります。弁護側や人権団体は「量刑が重すぎる」とし、抗議しています。

同様な事はアメリカ、サンフランシスコでも起こりました。ベイエリア高速鉄道(BART)構内でバート警察が、警官をナイフで襲撃した男を銃で射殺したことに対する抗議です。2009年にも同様、丸腰の男が、警官に射殺される事件が起きており、市民の警官に対する不信感が引金になったようです。抗議参加者は、携帯電話を通じてコミュニケートしていたことから、 地下鉄運行担当者はダウンタウンにある4つの駅で携帯電話の接続サービスを一時停止にしました。バート側はすべて合法的な措置であると主張していますが、言論の自由と言う観点から疑問の声を上げている人々もいます。

翻って、チュニジア、エジプトに始まった「アラブの春」はどうでしょうか。今年1月にチュニジアの政権が崩壊、2月にはエジプトの政権が崩壊。どちらも、ツイッタ―やフェイスブックの存在が影響していると言われています。チュニジア、エジプト政権もこれらのソーシャル・メディアをブロックしようと試みています。それでも最終的には反政府側がこのブロックを解除するという事態になりました。グーグルとツイッタ―が共同で「ネットを介さずにツイートできるサービス」を立ち上げたこともあ りますが、なんらかの迂回策が出回る可能性はあります。体制側がどのような対策を企てるのか、あるいはそのようにソーシャル・メディアを規制することにどんな意味があるのかを考える必要性が感じ取れます。

ソーシャル・メディアは、今どのような意味を持つのでしょうか。イデオロギー対イデオロギーの従来型の政治の下に、もうひとつゆるやかな(ソーシャルな)政治の層が広がりつつあると言われています。米マサチューセッツ工科大、メディア・ラボ所長、伊藤穣一氏は「創発民主主義」を提唱しています。トップダウンではなく、個々の単純な動きが相互に作用し高度な秩序が生まれていくこと。人々が自分で判断し、発信することができるようになれば、直接民主主義に近い政治的秩序が生まれてくるのではないか 、これが創発民主主義の理想のようです。

そういうプロセスがインターネットの普及で発生しやすくなりました。人々はネットを通じて必要な情報を独自に集め、思考を深め、お互いの間で質の高い議論を交わす。ソーシャル・メディアは、人種、性別、国籍に縛られず自由に討論できる場所。そこでは誰もが主役であり、サイバー空間で社会と自分を直接つなぎ自由に自己表現できる。つまり、自分と政治の間に介在する政治屋を排除できることになります。

しかし、人々がサイバー空間に留まっていては、何事も起りません。そこからOFFすることによって、お互いの考えが具象化する、顕在化すと言うことでしょうか。これで、わたしの論考も(政治的)フラッシュ・モブに戻ってきました。ネットの社会から這い出して、� �しい組織を作り出す潮流があります。クウェートの無国籍住民「ビドゥン」の権利回復運動家ハキムさんは、ツイッタ―などで250人以上のビドゥンの若者と連絡を取っています。コンピュータや法律家などさまざまな専門家が集い議論をするサイトもあります。何か起これば連絡を取り合い、対応策を話し合います。ハキムさんの活動は、既存の組織に属さない市民が自主的に反政府活動に参加する新しい形を模索しています。

またお隣の韓国では、インターネットラジオのトーク番組が若者の間で政治の新しい流れを産み出しつつあります。番組から特ダネも飛び出して、韓国メディアにも影響を与えました。根拠のない批判を撒き散らしていると、取り締まりや規制を求める声も上がってきましたが、「来年の総選挙や大統� �選挙に影響を及ぼす可能性もある」と分析している人もいます。

ハッカー集団と言われている「アノニマス」は独自の「告発サイト設立」を宣言しました。ウィッキリークスとの違いは、生のデータをそのまま出すのではなく、独自の取材を加え、調査報告の形式をとることです。内部告発を受け付け、その情報をもとに対象となる組織や人物に取材します。事実確認を経て、報告書としてサイトで公表するというものです。サイト名、「アノニマス・アナリティクス」は、「わかりやすい情報にすれば、影響力も強くなり、新たなジャーナリズムになる」と語っています。

以上、わたしの意見は記述してはいませんが、ソーシャル・メディアを巡る現状をわたしなりに考えてみました。

2011-11-14 23:10:42| 時事ニュース |コメント(0)|トラックバック(0)

前回、ES細胞は忘れられた感があると書きましたが、訂正いたします。この一週間で立て続けにES細胞に関する二つの記事を見ました。ES細胞には倫理的側面も多々あるので、研究は進まないだろうと思っていましたが、けっこう進んでいたんですね。厚生労働省は、治療法がない難病患者に限って臨床研究の対象として、指針作りを始めていたところだったようです。

ひとつは、重い肝臓病の新生児にES細胞からつくった幹細胞を移植するものです。肝臓病への応用は世界初で、国立成長医療センターは三年後をめどに、臨床試験に臨むとか。

先天性代謝異常症で生まれた新生児にES細胞から作った肝細胞をへそから肝臓に通じる血管に注射し、体重が5kgを超えるのを待って、両親らの肝臓を移植するもの。新生児の肝� �は移植により摘出されるので、もし注入した細胞ががん化しても危険性はないとのことです。

もうひとつは、まだマウスの実験段階です。ES細胞から成長ホルモンなどを分泌する臓器「脳下垂体」を作ることに成功しました。以前にも、マウスのES細胞から体脳皮質や網膜を立体的につくることに成功していますが、今回は複雑な機能を持つ人工臓器を作り出したというところに意味があります。

実験では、人工下垂体を作り出して、下垂体を取り除いたマウスに移植したところ85%のマウスが生き残りました。他の器官とのバランスも良好なようで、自然なフィードバックが確認できた模様です。この研究者は「5年をめどに、ヒトES細胞でも下垂体をつくりたい」と話しています。

以上、わたしの勝手な思い込みで、ES� ��胞は時代遅れの産物と言ってしまいましたが、研究は続いていたことをお知らせいたします。

2011-11-10 13:28:10| エッセイ |コメント(0)|トラックバック(0)

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